『童の神』今村翔吾

本のこと

『イクサガミ』がすごくおもしろかったので今村翔吾さんの他の作品も読んでみたいと思い購入。時代小説はこれまでほとんど読んだことなかったので、新たなジャンル開拓です。

Bitly

陽が欠けていく。

舞台は平安時代。朝廷に戦いを挑んだ酒呑童子の生涯。源頼光とか安倍晴明とか、実在の人物も出てくるけどストーリーは著者の創作だろうと思い込んで読んでいたら、最後のあとがきで史実をもとに書いたとあって驚きました。

桜暁丸がのちに酒呑童子と呼ばれることは作中で明らかになっているけど、そもそも酒呑童子自体をよく知らなかったし、なんとなく伝説とかおとぎ話的なものかなと思っていたので、ウィキペディアで調べてみて、それなりに現実味のある史実なのかと初めて知りました。

おおまかにいうと大江山の鬼伝説ということになるのかな。

鬼というのは山にもともと住み着いていた人たちの集団のことを都の人が蔑みの意味を込めて呼んだのかもしれません。

酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹波国と丹後国の境にある大江山、または山城国と丹波国の境にある大枝(老の坂)(共に京都府内)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた。彼が本拠とした大江山では洞窟の御殿に住み棲み、茨木童子などの数多くの鬼共を部下にしていたという。伝承では酒呑童子は最終的に源頼光とその配下の渡辺綱たちに太刀で首を切断されて打倒された。東京国立博物館が所蔵する太刀「童子切」は酒呑童子を退治した伝承を持ち、国宝に指定され天下五剣にも選定されている。

ウィキペディアより

源頼朝の四天王が強くてかっこよかった。自分も田舎の出身で桜暁丸と境遇が似ている坂田金時がいたり、出身で差別をしない渡辺綱がいたり、そんなのおかまいなしにただ敵を斬りたい碓井貞光がいたり、キャラが立っている。

京人(みやこびと)から鬼や土蜘蛛などと呼ばれて蔑まれていた山に住む人々。「童」というのはこのような人々の総称です。

この本で描かれているのは、お互いを尊重して共に生きることを望んだ人々の戦いでした。出身地や人種によってマウントをとることのくだらなさ、百年後千年後を見すえて内輪もめをしている場合ではないと説くことの大切さは、今にも通じるものがありました。

「よいではないか。目の前の一人を救うことしか俺には出来ぬ」

p146

「我らの純なる心は京人と混じって宿る。百年・・・千年後、この国の民の中で目覚めることを信じよう。俺は人を諦めない。それが我らの戦いだ」

p434

酒呑童子の鬼伝説の舞台となっている大江山といえば、百人一首にも詠まれています。

60番小式部内侍「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

小式部内侍は有名な歌人・和泉式部の娘。幼いころから歌がうまいと評判でしたが、あまりに上手なので母の和泉式部が代作しているのではないかという噂がありました。

ある日歌会に参加した小式部内侍は、藤原定頼に「今日はお母さんがいないけど大丈夫?お母さんが行っている丹後の国に使いは出されましたか?」と嫌味を言われます。それに対して即興で返したのがこの歌です。

意味は「大江山へ行く野の道(生野の道)は遠いので、天の橋立へはまだ行ったことはないし母からの手紙も見てないです」生野と行く、踏みと文をかけています。

この歌の大江山は鬼退治伝説の有力地・京都北部の大江山とは別の京都府南部の大枝山を指しているともいわれているそうですが。

今村翔吾さんは本作品で第160回直木賞候補となっています。このときは受賞を逃しましたが、その後『塞王の楯』で第166回直木賞を受賞されました。こちらも読んでみたいです。

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