平野啓一郎さんの文庫新刊で出ていた『本心』を読みました。
一度しか見られないものは、貴重だ。
舞台は2040年の日本。
一冊の本の中に、少しだけ先の未来に起こりそうな論点がたくさん織り込まれていて、そのたびに考えさせられました。
「自由死」の是非。「死の一瞬前」に自分が何を思って誰と過ごしたいかを決める権利はすべての人にあるのか。残される人はそれに反対する権利はあるのか。
亡くなった人の「ヴァーチャル・フィギュア」を作成すること。故人のライフログを読み込ませて、さらに会話の中でフィードバックを与えることでさらに故人に近づけていくというのだけど、それは結局残された人がこう言って欲しい、という願望にすぎないのではないか。
実際に出かけたり会ったりするのではなく、自宅にいながら仮想空間でだけ交流すること。直接会うことでしか感じることのできないものがあるのではないか。
テクノロジーが今よりも発展した時代においても、直接の、温もりのある関わりが大事なんだろうなということを逆説的に感じながら読みました。
この本に書かれていること、本当にあと何年かしたら普通になっていそうなことばかりで、よく考えつくなあと思いました。
出かけられない、出かけたくない人のためにヘッドセットをつけて街に出るリアル・アバターという職業も。そこには、発注する人(富裕層)と受注する人(貧困層)との間の絶対的な格差が存在するということも。
「死の自己決定権の話をしました。この問題を、社会的弱者にのみ押し付けるのは、許されないことです。必ず悍ましい議論になります。考えるべきは、そもそも人類に、その権利を認めるかどうかです。お母さんとは、そんな深刻な話もよくしたんです。ーー人間は、一人では生きていけない。だけど、死は、自分一人で引き受けるしかないと思われている。僕は違うと思います。死こそ、他者と共有されるべきじゃないか。生きている人は、死にゆく人を一人で死なせてはいけない。一緒に死を分かち合うべきです。ーーそうして、自分が死ぬ時には、誰かに手を握ってもらい、やはり死を分かち合ってもらう。さもなくば、死はあまりに恐怖です。」
p432
いろいろ考えさせられる、それでいてとても読みやすい小説でした。
平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』が大好きで、『ある男』と合わせてもう一度読み返してみたくなりました。
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